略してmeglog
めぐちゃん、こんにちは〜。お久しぶりです。とは言っても、ブログはときどき覗いていました。『がん』という病気はとても恐ろしい響きがあって、なってしまった当人の辛さもそうだけれど、周りもちょっとどう取り合ったら良いのかっていう不思議な心理が働きついつい言葉を選んでしまいます。でも、私やおじさんの周りにも何人かそういう人がいる(た)ので、ちょっと感じることはあったのだけれど、あえてそれを言葉にすることをしませんでした。でも、前回の記事でやっぱり思ったのでちょっと書いてみますね。それは『たまたま』だけなのかもしれないけれど、『癌治療』に正面から向き合って全力を注いでるのってやっぱり意識がそこに向けられるので癌をフィードするだけのものにしかならないのかな、って思った事が、実は過去にあります。もちろん、人によって症状やその重度が違うっていったらそれまでなんですけれど、ただ何となく私は直感的にそう思ったことがあったというだけ。そうなってしまったことを嘆いたり運命を疑ったり、よいお医者を探そうとやっきになったり、改善がみられないと焦ったりと、そうしていた仲の良い友達がいて、私も生活が癌一色に染まってしまった、そんなときもありました。そうかと思えば、ある時期連絡が途絶えた中年の男性がいて、後ほど会ったら彼も癌になっていたとのこと。でも、彼の場合はその姿勢がちょっと違っていて、彼は自分の仕事のことがとても忙しかったら、治療はしていたけれど、どうにかこうにか普通の生活を保ったりちょっと入院したりしていて、発病してから8年近くもう経っちゃうのかしら? 「もう誰も僕の癌のことで同情は心配なんてしてないよ〜。消えはしないけど、それほど酷くなるってこともないまま。きっとずっとこれと生きて行くんだよね」って「アイヤイヤイヤ〜」とちょっと大変そうではあったけれど、半分笑って「これが僕の人生」って笑っていたのが印象に残りました。『がんと闘う』というタイトルを見た時に、いつも感じる違和感というのはそれだったのかもしれません。いえ、もちろんめぐちゃんの生活がそれだとしたらそれが最も適した表現なのだと思うし、こんな私が思う事なんて他人のたわごとだと思います。ただ『がんと共存』というそういう心の持ち方もあるということ。前回の記事で「闘病日記は書かない」とあったことはやっぱり頷ける事だし、人は癌ももちろん、その他いろんな辛く苦しく忌まわしい出来事を抱えて生きて行っているなか、あえてそれにフォーカスした記録をとっていたところで、その結果作用するポジティブなことは何かというと、ちょっと考えてしまうところはあります。だったら「嘘日記」でもいいから、今日は楽しい、今日は元気だ、こんなに幸せだと記していてそれを読んだ他人がそうなんだと信じる事によって生まれる宇宙の法則や己の潜在意識の改革っていうのがあると私はブログでも力説しています。もちろん、そんなことを癌と闘うぞという姿勢の方に告げるなんて、どんな神経でもの言うかということになりますので、ずっとうちに秘めているまででしたが。個人的にメッセージを送ろうかと思ったのですが、メッセージ欄がみつからずここに書き込みをすることになりました。読んでとてつもない反感を得るとしたら、そのどの部分に反応しているかをじっと観察されることもまたご自身との対話になるかな、とも思い投じました。他の方々とシェアする内容でもないので、これをお読みになったら、是非削除してくださって結構です。めぐちゃんが、心安らぐ時が一瞬でも長くずっと続く事をお祈りしています。
.....ってなにも、だからといっていきなり『がんと闘わない』というタイトルに変えなくってもいいやん、って思いますけど〜 (-"-;A
■雅(みやび)ランティエ さんタイトルはまぁ、シャレですwていうか、最近『闘志むきだしのタイトルなので変えたいなぁ…』とは思っていたんですけど、でもいいタイトルが浮かばず。でもなんかそのままなのも嫌だなぁと思ったので暫定的に。近いうちにまた変えます。数個前のポストから、自分の気持ちにも変化が起きていて、それに沿うように周りの人々からプレゼントやらメッセージをいただいてます。病名を告げられて、とにかく自分を奮い立たせることで治療に立ち向かうことしかできなかった半年間(正確には5ヶ月)。半年経って、ようやく病気の本質的な部分に気づいてきた感じがしています。『治すために生きる』のではなくて『幸せになるために生きる』。今、いろんなちからがそう導いてくれているのを感じてます。あと、雅ランティエさんからのコメント、削除したほうがいいのかしら?とも思ったんですけど、自分の中で忘れたくない感情に気づかせてくれる部分が多かったのでそのまま残させてもらうことにしようかと思ってます。まぁ読んでる人けっこう限られてますしねw思い切って書いてくださって、ありがとうです。感謝です。
力強いお言葉を頂けて、ほっとしました。身体の調子が優れない時には、どんな言葉もバズーガ砲のように心をぶちこわしてしまうもの、そちらの状況が解らないのになんて恐ろしい事をしてしまったのかしら私、と後でとても後悔してしまったのも事実です。だからこのコメントがめぐちゃんの力と愛を証明してくれたので、とても嬉しいです。半年というのは、ある程度、フェーズの区切りの区間なのではないか、と私の友達のケースも含めて思ったりします。これは癌に限らず身に降った一見『不幸』と思われる人生を変えるようなイベントにおいて。こもりぞーさんの成長は、ふっと気をそらしているうちにどんどん見失ってゆく貴重な変化。全力をそっちに注いでこもりぞーさんの成長記録を一日単位でどんどん見せてください♪ 彼の笑顔の写真を楽しみにしています♪愛は癌細胞の力よりも遥かに強いのですから。
■雅ランティエ さん(ていうかまこ姐)そうですね。ちょっと前の私だったらバズーカ砲だったと思います。『闘わない=諦め』というイメージがあったように思います。でも今は、まこ姐からのコメントもクマコや千穂たんからのメッセージも、宇宙からの引力のように感じます。なんて嬉しいことなんだと、感謝の日々ですよ。国分寺の先生もこの間言っていたんですが、『言霊』というのは大切ですよね。ハッピーな言葉からはハッピーな事がうまれる。そして逆もしかり。だから、言葉に心がついていけるように、なるべくハッピーな事、感謝できる事を書いていきます。こもりぞーさんへの愛はとどまる事を知らないですよ〜!
いや、このタイトルはめぐこらしくてすごくいいよ。w知らない人が訪れたら、「え、あきらめた人のブログ??」って思ってしまうかもしれんけど、読んでる人はみんなそうじゃないってわかってるし。
めぐちゃん、こんにちは〜。お久しぶりです。とは言っても、ブログはときどき覗いていました。
返信削除『がん』という病気はとても恐ろしい響きがあって、なってしまった当人の辛さもそうだけれど、周りもちょっとどう取り合ったら良いのかっていう不思議な心理が働きついつい言葉を選んでしまいます。
でも、私やおじさんの周りにも何人かそういう人がいる(た)ので、ちょっと感じることはあったのだけれど、あえてそれを言葉にすることをしませんでした。
でも、前回の記事でやっぱり思ったのでちょっと書いてみますね。
それは『たまたま』だけなのかもしれないけれど、『癌治療』に正面から向き合って全力を注いでるのってやっぱり意識がそこに向けられるので癌をフィードするだけのものにしかならないのかな、って思った事が、実は過去にあります。もちろん、人によって症状やその重度が違うっていったらそれまでなんですけれど、ただ何となく私は直感的にそう思ったことがあったというだけ。
そうなってしまったことを嘆いたり運命を疑ったり、よいお医者を探そうとやっきになったり、改善がみられないと焦ったりと、そうしていた仲の良い友達がいて、私も生活が癌一色に染まってしまった、そんなときもありました。
そうかと思えば、ある時期連絡が途絶えた中年の男性がいて、後ほど会ったら彼も癌になっていたとのこと。でも、彼の場合はその姿勢がちょっと違っていて、彼は自分の仕事のことがとても忙しかったら、治療はしていたけれど、どうにかこうにか普通の生活を保ったりちょっと入院したりしていて、発病してから8年近くもう経っちゃうのかしら? 「もう誰も僕の癌のことで同情は心配なんてしてないよ〜。消えはしないけど、それほど酷くなるってこともないまま。きっとずっとこれと生きて行くんだよね」って「アイヤイヤイヤ〜」とちょっと大変そうではあったけれど、半分笑って「これが僕の人生」って笑っていたのが印象に残りました。
『がんと闘う』というタイトルを見た時に、いつも感じる違和感というのはそれだったのかもしれません。いえ、もちろんめぐちゃんの生活がそれだとしたらそれが最も適した表現なのだと思うし、こんな私が思う事なんて他人のたわごとだと思います。
ただ『がんと共存』というそういう心の持ち方もあるということ。
前回の記事で「闘病日記は書かない」とあったことはやっぱり頷ける事だし、人は癌ももちろん、その他いろんな辛く苦しく忌まわしい出来事を抱えて生きて行っているなか、あえてそれにフォーカスした記録をとっていたところで、その結果作用するポジティブなことは何かというと、ちょっと考えてしまうところはあります。
だったら「嘘日記」でもいいから、今日は楽しい、今日は元気だ、こんなに幸せだと記していてそれを読んだ他人がそうなんだと信じる事によって生まれる宇宙の法則や己の潜在意識の改革っていうのがあると私はブログでも力説しています。
もちろん、そんなことを癌と闘うぞという姿勢の方に告げるなんて、どんな神経でもの言うかということになりますので、ずっとうちに秘めているまででしたが。
個人的にメッセージを送ろうかと思ったのですが、メッセージ欄がみつからずここに書き込みをすることになりました。読んでとてつもない反感を得るとしたら、そのどの部分に反応しているかをじっと観察されることもまたご自身との対話になるかな、とも思い投じました。他の方々とシェアする内容でもないので、これをお読みになったら、是非削除してくださって結構です。
めぐちゃんが、心安らぐ時が一瞬でも長くずっと続く事をお祈りしています。
.....ってなにも、だからといっていきなり
返信削除『がんと闘わない』というタイトルに変えなくってもいいやん、
って思いますけど〜 (-"-;A
■雅(みやび)ランティエ さん
返信削除タイトルはまぁ、シャレですw
ていうか、最近『闘志むきだしのタイトルなので変えたいなぁ…』とは思っていたんですけど、でもいいタイトルが浮かばず。でもなんかそのままなのも嫌だなぁと思ったので暫定的に。近いうちにまた変えます。
数個前のポストから、自分の気持ちにも変化が起きていて、それに沿うように周りの人々からプレゼントやらメッセージをいただいてます。
病名を告げられて、とにかく自分を奮い立たせることで治療に立ち向かうことしかできなかった半年間(正確には5ヶ月)。半年経って、ようやく病気の本質的な部分に気づいてきた感じがしています。
『治すために生きる』のではなくて『幸せになるために生きる』。
今、いろんなちからがそう導いてくれているのを感じてます。
あと、雅ランティエさんからのコメント、削除したほうがいいのかしら?とも思ったんですけど、自分の中で忘れたくない感情に気づかせてくれる部分が多かったのでそのまま残させてもらうことにしようかと思ってます。
まぁ読んでる人けっこう限られてますしねw
思い切って書いてくださって、ありがとうです。感謝です。
力強いお言葉を頂けて、ほっとしました。
返信削除身体の調子が優れない時には、どんな言葉もバズーガ砲のように心をぶちこわしてしまうもの、そちらの状況が解らないのになんて恐ろしい事をしてしまったのかしら私、と後でとても後悔してしまったのも事実です。
だからこのコメントがめぐちゃんの力と愛を証明してくれたので、とても嬉しいです。
半年というのは、ある程度、フェーズの区切りの区間なのではないか、と私の友達のケースも含めて思ったりします。これは癌に限らず身に降った一見『不幸』と思われる人生を変えるようなイベントにおいて。
こもりぞーさんの成長は、ふっと気をそらしているうちにどんどん見失ってゆく貴重な変化。全力をそっちに注いでこもりぞーさんの成長記録を一日単位でどんどん見せてください♪ 彼の笑顔の写真を楽しみにしています♪
愛は癌細胞の力よりも遥かに強いのですから。
■雅ランティエ さん(ていうかまこ姐)
返信削除そうですね。ちょっと前の私だったらバズーカ砲だったと思います。
『闘わない=諦め』というイメージがあったように思います。
でも今は、まこ姐からのコメントもクマコや千穂たんからのメッセージも、
宇宙からの引力のように感じます。
なんて嬉しいことなんだと、感謝の日々ですよ。
国分寺の先生もこの間言っていたんですが、
『言霊』というのは大切ですよね。
ハッピーな言葉からはハッピーな事がうまれる。そして逆もしかり。
だから、言葉に心がついていけるように、なるべくハッピーな事、感謝できる事を書いていきます。
こもりぞーさんへの愛はとどまる事を知らないですよ〜!
いや、このタイトルはめぐこらしくてすごくいいよ。w
返信削除知らない人が訪れたら、「え、あきらめた人のブログ??」って思ってしまうかもしれんけど、読んでる人はみんなそうじゃないってわかってるし。